心田開発の主張

大切にしたい言の葉

  世上、食品偽装、公金流用詐取で問われるのは法令遵守(コンプライアンス)の観点と職業倫理の確立・高揚です。しかしながら、政治家を含む社会的ミッションにかかわる者の倫理確立は幾千年を経ても、なお、至難の域にあります。以下の漢詩二編に込められた精神は今もなお、風化せずにある。

李紳

  中唐代無錫の詩人。白居易,元シンと並ぶ、社会詩グループに位置する政治家で、のちに宰相となる李伸は、農民が苦しい作業をしてもなお、餓死する者がある事を慨嘆し「憫農の詩」(を憫む)で百姓の労苦を詠い、その刻苦勉励ぶりを称えている。

  今日、「百姓」なる言葉は「水呑み百姓」と侮蔑の代名詞となった時代もあり、「死語」となりつつありますが、「農業」こそ国家を成す基幹産業であり正当な評価を受ける必要が事、「百姓」なる言葉も「農耕技術のデパートメント・マイスター」として位置づけられる事を望む次第です。

憫 農 詩  李紳
春種一粒粟,秋成萬顆子。
四海無閒田,農夫猶餓死。
鋤禾日當午,汗滴禾下土。
誰知盤中餐,粒粒皆辛苦。

- 訳 -

春に一粒だけ穀物の種を播くと、秋には万もの実がなる。
国内には休耕田はなく農民は精励しているのに、なお餓死しようとしている。
稲の間の草を除こうと鋤きかえしていると、太陽は真南に来て、もう昼時である。
汗は稲の根元に滴り落ちる。
誰が知ってくれよう。食器の中の飯つぶの来歴を
その一粒一粒のすべてが、皆、農夫の苦労の結晶である事を。

孟昶(もうちょう)

中国後蜀(919年~965年) – 第2代帝王は、治世31年の長きに及ぶ名君であり
以下の漢詩は当時の官吏に示されたものです。
我が国においても、元禄の世、福島二本松藩主であった丹羽氏が「官僚自戒の碑」として
碑にこれを刻し、士風の鼓舞・高揚に資する事とし天下に流布された。
昭和30年代、富山県の文民知事として知られた吉田實氏が同様にこれを引用し
公務員の処世訓として説いた。

又、富山県庁に碑文がある。

爾俸爾禄   あなたがいただく給料は、
民膏民脂   人民の汗と涙の結晶である。
下民易虐   下々の民は虐げやすいけれど、
上天難欺   神を欺く事はできない。

東日本大震災

未曾有の天災である“東日本大震災”は
被災のかの地に多くの悲嘆と喪失をもたらしました。
うるわしき日本(敷島)の緑なす山河もいのちも
そして心も傷ついた時代に生きる私たちは
倦まず弛まずに協働して
住みやすいまちづくりに取り組みたいものです。

心田開発が活動の拠り所の一つとする園芸福祉の理念・運動を提唱するNPO法人日本園芸福祉普及協会(在 東京都)がシンポジウムで採択したものです (掲載許諾済み)

震災復興貢献の誓い

私たちは『花や野菜を育てて、皆で幸せになろう』の声を基に集い、10年間で日本全国に多くの賛同する仲間を得、花や野菜づくりなどの園芸の持つ高揚を福祉や健康、教育、まちづくりなどに活かす活動を行ってきました。

 2011年3月11日に東日本を襲った巨大地震と津波は、未曾有の大災害をもたらしました。
人々の幸せを求める私たちのこころは悲しみでいっぱいです。
今回の地震と津波、そして原発事故がもたらした被害と余波は、私たちの生活のみならず、世界中の人々の価値観やライフスタイルまで変えようとしています。
被災地や被災された方々に、園芸活動でできることは少しだけかも知れません。
しかし、私たちは、花のチカラを信じ、緑のココロと人の和を持って、被災された方を勇気づけ、地域復興の一助を担う努力を行って参ります。
そして、ここに誓います。

一 私たちは、豊かな恵みの大地が蘇るよう花と緑で未来を創ります。
一 私たちは、生命の源大海原が蘇るよう花と緑で未来を創ります。
一 私たちは、ともに生きる同胞の笑顔と希望が蘇るよう、花と緑で未来を創ります。

NPO法人日本園芸福祉普及協会
(〒162-0063 東京都新宿区市谷薬王寺町58)
園芸福祉の考え方の基本的概念図